お寺からのメッセージ

2024

1睦月

January

「哀れなる哉、哀れなる哉、長眠の子。苦しい哉、痛い哉、狂酔の人。痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。」

私の父、老僧も今年で八十八歳の米寿を迎えました。その父は若かりし頃より托鉢を続け、私の幼いころ、正月三が日は早朝より翌日の朝を迎えるまで務めることもあったそうです。正直なところ、そんな父を私は嫌いでしかたなかったのを憶えています。幼い私には父が哀れみの中、浄財をいただき、時に心無い言葉を浴びせ掛けられる姿は恥ずかしく、後ろめたい気持ちがありました。時を経て私もいくらか僧侶のことを理解し托鉢が尊い行いであることを知っても、父を心から認めることができないでいました。

そんな私ですがある時、父に誘われて一度だけ一緒に托鉢をしたことがあります。時折投げかけられる「そんなことしてないで働け」「坊主丸儲けだな」との言葉に傷つき三日間の托鉢を一日で投げ出しそうになりました。その日の晩、父にもう托鉢はしたくないと打ち明けました。すると父は「今日はよく頑張ったな。小さな子供がお財布を空けてお前になけなしのお小遣いを預けて、頑張ってって言っていた。お前のような若い僧が托鉢をする、その姿を見て何人かの人に慈悲心を起こさせたんだよ。それが大切なんだ。」この言葉に私は托鉢の本当の意味を少し理解した気がしました。きっとあらゆることは経験した者にしかわからない奥深い世界があるのではないでしょうか。

 

長野 洞光寺 松本諦宗