お寺からのメッセージ

2024

4卯月

April

「嫉妬の心は彼我(ひが)より生ず もし彼我を忘るるればすなわち一如を見る」

「分別」という言葉があります。

日常会話でもよくつかわれますが、もともとは仏教用語です。一般的には「分別がある」というと「物事をわきまえている」という良い意味で使われていますが、仏教では「自分勝手な見方で判断して、物事をありのままに見られない」ことを指し、これを戒めています。

私たちは、常に他人と自分を比較してしまいます。「あいつは年下のくせにナマイキだ」「自分は彼に比べてダメなやつだ」と人と比べては得意になったり落ち込んだりします。でも仏様の目から見れば、どの人も大して違いはありません。密教では、この世のすべての物が本質的には仏さまと一心同体であると説きます。他人と自分(彼我)を分別することを忘れれば、「一如」(真実の姿)が見えてきます。

お大師様は、教えを乞いにきた人があれば、誰にでも旧友のように温かく接したといわれています(性霊集序)。私たちも弘法大師のように分け隔ての無い心を持ち続けましょう。

 

真成院 織田隆汎